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ナカノシマ大学。 [本]

先週の金曜日、大阪の中之島エリア周辺を紹介する
『月間島民』というフリーペーパーが主催する
ワークショップに行ってきました。
題して「ナカノシマ大学」。
毎月一回程度、大阪の商業、文化の中心地である中之島に
ゆかりのある大学や企業から講師を招いて講演会や
街歩きツアー等を企画しているそうです。
大阪市が協賛してるのかなぁ。どうなんでしょう?

今回は人類学者で多摩美術大学芸術人類学研究所所長の
中沢新一さんと浄土真宗本願寺派住職の釈徹宗さんを講師に
迎えての講演会です。
昨年4月に大阪中之島にある国立国際美術館で開催された
杉本博司さんというアーティストの展覧会でご本人の
トークイベントに参加する機会があり、その時ゲストとして
招かれていて、とても面白いお話のやり取りを聞かせて
くれたのが中沢新一さんでした。

この日の講義は縄文時代の地形図を片手に現代の東京を考察する
中沢さんの著書『アースダイバー』の大阪版。
何でも今から約5500年ほど昔の「縄文海進期」と呼ばれる時代の
東京は、温暖化による海水面の上昇で現在より遥か内陸まで
複雑な入り江が広がっており、その頃岬の突端や深い谷の
奥底だった場所には決まって古墳や社寺をはじめ、大学や病院
放送施設、ラブホテルなどが点在するそうです。
いわゆるパワースポット?

スライドで約5500年前の大阪府の地図を見ながら
(大阪中心部は、ほぼ海の中ですなぁ。。。)
民俗学、考古学はもとより政治・宗教、果ては経済学まで
多岐に渡る豊富な話題で今回も知的好奇心をくすぐるお話を
沢山聴く事ができました。
「昔から神社やお寺の場所が変わっていない(変えられない)
 東京と比べて、大阪の場合は比較的大胆に動かしているのだけど
 それでも本質的には変わらない。
 一体性を損なわないのが特徴的で面白い。」
というお話はとても興味深かったです。


『アースダイバー』 ~ 中沢新一

『週刊現代』での連載をまとめたもので、今回の講義に備えて
近くの図書館から借りてきました。(買いなさい!)
NHKで放送していた『ブラタモリ』がお好きな人にお勧め。
この夏再び『大阪版アースダイバー』連載がスタートするそうですよ。


『カイエ・ソバージュⅠ~Ⅴ』 ~ 中沢新一

合わせて中沢さんの御本を何冊か借りてきました。
大学での「比較宗教論」の講義録全5巻シリーズ。
神話は決して荒唐無稽な夢物語ではなく、世界の在りようを
理解しようとする古代の人々の知恵やバランス感覚を見事に
表しているものなのですね。
正に”人類最古の哲学”。
利潤や合理性ばかりを追求する私たち現代人にとって
非常に学ぶべき点が多いです。

『アース・ダイバー』のお話は、読者層を意識してか何となく
週刊誌的といいますか…(笑)。
最初に中沢さんの著書を読むならやはりこっちかなぁ。
実は借りてきた図書館の蔵書には何故かⅣ、Ⅴ巻だけ
ありませんでした。
う~、気になる。。。
××市立図書館さん、お願いしますよ~



講演が始まるまでの間、会場近くの『喫茶 星霜』で
本を読みながら暇つぶし。‎
南天満公園のテニスコートの前にある小さなカフェです。
とても落ち着く空間。シンプルな内装がセンスを感じさせます。

本当はこの時期すぐ近くで開催中だった有名な造幣局の
桜の通り抜けを観たかったのですがあいにくの雨模様で
断念しました。



「ナカノシマ大学維持の為、募金代わりにお願いしま~す!」
と講義室の前で売っていました大学芋です。
懐かしい味ですね~

”大学芋”の由来については諸説あるそうですが、その中に
「昭和の初め頃、東京大学の学生が学費を捻出するために
 作って売ったのが始まり。」
というのがあるそうですよ。

見えるもの、見えないもの。 [本]

お久しぶりです。
前回の更新から随分間が空いてしまいました。
あまりの暖かさに桜の木にも青い葉が目立つようになりましたね。
早いものです。花粉の季節もあと、もう少し。

さて。
今通っている会社までは通勤時間が1時間半ほどかかるのですが
行き帰りの電車の中で本を読む機会が増えたのは不幸中の幸い
といったところでしょうか(笑)。
最近は沢山の良い本と出会う事ができて個人的にお薦めしたい
作品も多く、これからは折に触れてちょくちょくご紹介できれば
と思ってます。。。



『 家守綺譚 』  ― 梨木香歩 ―

「左は、学士綿貫征四郎の著述せしもの…」

時は今から遡る事百と数十年前の、明治時代の日本。
主人公綿貫征四郎は、学生時代に死んだ親友が住んでいた
庭付きの一軒家を間借りする売れない文士。
時代の大きなうねりと共に確実に押し寄せる文明化の気配を
予感させながらも緩やかに、豊饒に季節は流れる。

かつては共に同じ世界に住んでいた筈の、自然界の美しき
眷族達との交歓の物語。。。

梨木香歩さんの作品は、女性ならではの細やかで情感溢れる
筆致と、穏やかな文章の中にも時折ハッとさせられるような
鋭い洞察が見え隠れするようで以前から好きでよく読んで
いるのですが、中でもこの小説は一番のお気に入り。

花鳥風月、亡き友と語り、河童や子鬼、竜や人魚などもごく
自然に登場する物語はかつての日本の里山の原風景を見るようで
何だかとても懐かしく、どんな物事にも動じない隣のおかみさんや
友である高堂との飄々とした会話のやりとりにも読んでいて思わず
微笑んでしまいます。

しかしながら文中の
「畢竟自分の中にある以上のもの、または自分の中にある以下の
 ものは見えぬ仕組みなのだ。」
との言葉には、日々の生活で目にしながら見えていないもの
見落としているものの存在が如何に多くあるのかを教えられて
いるような気がして、つい考えさせられたりもして。

美しい季節の風景と共に人々の機微を鮮やかに紡ぎだす
こういう素敵な小説に出会うと日本に生まれて本当に良かった!
と実感しますね。

ふと立ち止まって風のなかに季節の感触を確かめたくなるような
ふっと肩の力が抜けるような、そんな作品。オススメです。

記憶。 [本]


『銀の匙』 - 中 勘助 -

「子供の時分になかなか開けることのできなかった茶箪笥の
 抽匣(ひきだし)から見つけた銀の小匙。
 矯めつ眇めつ眺めながら、伯母さんの愛情に包まれて過ごした
 遠い昔の少年時代を懐かしく思い起こす。。。」

今週になって雨続きの大阪は気温も低め。
こうも続くと気分的にも湿りがちになってしまいますが
ときには雨音を聞きながら本を読むというのも良いものです。
秋も深まってきたことですしね。

子供の頃の思い出って、ふとしたきっかけで突然鮮明に蘇って
きたりするものです。
例えば光や音、匂い、普段何気なく目にする風景など。

でもそれは都会に降る淡い雪のように
掌を差し出したとたんに消えてしまうような儚い記憶。
齢を重ねるほど霞の彼方に消えていくような気がします。

かつて万物全てに対して驚きをもって感じられた子供時代。

そんな瑞々しい子供の感性そのままに、著者の中勘助さんは
思い出を綴っています。
それもやっと歩くことのできるくらいの、年端の行かぬ頃の記憶を
たった今肌で感じているように、実に鮮明に。

あやとり、お手玉、百人一首。
お犬様、丑紅の牛、木の実どち。
今の時代、見向きもされないような簡素で素朴な遊びの数々。

けれど、四季折々の風景を添えて描かれるその遊びの
何と豊かで美しいことか。

今ではすっかり廃れて体験したことが無いような文化・風俗も
数多く登場しますが、何故だか不思議と懐かしい。
それは、日本人なら幼い頃に誰もが感じていたであろう共通の
記憶のようなものがこの本にはたくさん詰まっているからだと
思うのです。
できることなら幾つになってもこういう感覚は失わずに
いたいものですね。

通勤電車の車内で読んでいて、何度も胸が一杯になって
読み進めることができなくなりました。
(最近、本当に涙腺弱いんですってば。笑)

かの夏目漱石が絶賛した本書。
切ない秋の夜長にお勧めの1冊です。

約束。 [本]



ついに梅雨前線も本格的に日本列島上空に居座りましたね。
梅雨の高温多湿が大の苦手な私としては、この時期
とても憂鬱です。。。

窓ガラスを伝って流れ落ちる雨粒を眺めながら
久しぶりに思い出したお話があります。
先日観に行ってきた河鍋暁斎の影響もあるかな?

手塚治虫さんの3,40ページほどの短い読切漫画。

思い入れが強いため(笑)ついつい内容まで踏み込んで
しまいましたが、とても素敵な作品なのでもし興味を
持っていただけたら是非とも一読をお薦めします。



『雨降り小僧』 -手塚治虫-


モウ太は父が教師を勤める山奥の分校に独り通う中学生。
月に一度、町の本校に行くたびに田舎モノと馬鹿にされ
いじめられて帰ってくる。

そんなある日、橋の下で唐傘をかぶった不思議な子供と出会う。
”雨降り小僧”と名乗るその少年は、モウ太の履いている
ブーツにすっかり夢中。
くれれば三つの願い事をかなえると言う。

「ほんとに三つねがいをかなえろよ。だめならブーツはやらねえぞ。」

雨降り小僧は命じられた願いを身の危険も顧みず叶えてくれる。

ところがその直後、父の転勤が決まったモウ太は有頂天で
ブーツを持っていくから橋の下で待ってろと言ったこと
などすっかり忘れてそのまま町へと引っ越してしまう。。。

それから月日は流れて数十年。
成長し、今ではすっかり大人となったモウ太はある日
わが子から水遊び用のブーツをせがまれる。
「ブーツ…?。あぁっ!」

突然約束を思い出し、約束した橋の下にあわてふためき
駆けつけるモウ太。

はたして、そこには彼を信じて待ち続け
ボロボロになった雨降り小僧の姿があった。
そして。。。
____________________________

この作品に出会ったのは多分小学生のころ。

読んだ後に泣きたくなるほど切なくなるのは
大人になるにつれて失くしてしまうものへの悲哀?
モウ太を信じて待ち続けた雨降り小僧の純真さ?
それとも少年のころの約束の大切さ?

うーん、何かちょっと違うような。。。

で、最近読み直してやっと思い当たったのですが。
モウ太と一緒ですね(笑)。

「そのクツほしか…」と呟く雨降り小僧は実のところ
ブーツなんてどうでもよかったのじゃないかな。

年齢と共に失くしていくものがあります。

けれど、歳を重ねることで気づくことも、ある。

その時は往々にして遅きに失する事の方が多いのですが。。。

ただ、ここで敢えていわせてもらえるならば、長い歳月を
費やしたからこそ、モウ太は約束を思い出した時に
雨降り小僧が本当に欲しかったものが理解できたのでは
ないでしょうか。

それって多分、とても大切なこと。

雨降り小僧にとっても、単に3つの願いの対価としてのブーツ
よりも、たとえ40年かかったとしてもそのことの方が遥かに
嬉しかったのではないでしょうか。

「よく物置なんかにふるいカサがすてられてあるどに
 ああいうのからおいらたち生まれるどに…」

粗雑に扱われ、見捨てられ、いわば人に裏切られる事で
生まれた「付喪神」の雨降り小僧。

何となく彼はモウ太に出逢う以前から、ひょっとしたら
それ以上の長い長い時間、あの橋の下でずっと誰かを
待ち続けていたように思えるのです。

「忘れていたのは約束ですか?
 それとも、そこに秘められた気持ちですか?」

故手塚治虫さんのそんな問いかけがふと聞こえてくるような
そんな気がします。

同じ速度で…。 [本]



『子鹿の休息』 -丸岡 永乃-

お気に入りの音楽のCDを選ぶように
何となく、詩集を買ってみた。

我ながらやっぱり、変わり者。(笑)

普段目にしている本よりも明らかに多い
余白のあいだから聴こえてくるのは

何気ない、日常が奏でるリズム。

等身大の言葉。

同じ歩幅で、同じ速度で。
風景を感じながら歩むように。

先日、神戸に行った折にvivo,vabookstoreという本屋さんに
寄ってきました。
栄町の雑居ビルの4Fにある、小さな本屋さん。

本のセレクトには定評があるようで
ショップのオーナーがお店に置く本の相談に来る程だとか。

素敵な本ばかりで時が経つのも忘れそうです。
神戸にお立ち寄りの際には、是非。

嬉しいこと。 [本]

ご無沙汰してます。
約1週間ぶりの更新です。

相変わらず寒い日が続いておりますね。
大阪では午前中、風花が舞っていました。

とはいえ2月ももう半ば。
そろそろ少しずつ春の便りが届き始める頃でしょうか?

ところで、今日はちょっとびっくりしたことがありました。

以前、大のお気に入りの作品、寮美千子さんの
星兎』と、『ノスタルギガンテス』というとびきり素敵な本を
私のplaylog上でご紹介した事があったのですが
なな、何と作者の寮美千子さんご本人から書き込みがありました。

もー、光栄です。感激です。感謝です。

まさか作者の方から直接とは思いもよらず、拙い感想で
気を悪くされなかったかな?と逆に心配になってしまいました。(笑)

私の文章表現の無さが恨めしいです。
本当にとっても素敵な作品なんですよ!!

現在は新作の長編を雑誌に連載中とのことで、そちらの方も
本になるのを今から楽しみに、首を長くして待っていようと
思います。

しかし、こういうこともあるんですね。


通勤の途中で。
春も、もうすぐそこまで来ています。

光のかけら。 [本]



『プラネタリウムのふたご』 ~ いしいしんじ

「だまされる才覚がひとにないと、この世はかさっかさの世界に
 なってしまう…。」

実にいしいさんらしい表現だと思います。

なるほど、確かにそういったものがなくなってしまったら
ドラマや本、映画など空想の世界は殆ど意味のないものと
なってしまいます。

歳をとるにつれて次第に物事に興味が薄れていくのは
そういった才覚が少しずつ失われて行くからなんでしょうかね。

まぁ、だます嘘にも色々ある訳で、寂しいかな今の世の中
信じるに価する嘘などというものはとても稀少に思えるのですが。。。

物語に登場する手品師一座は皆、大切な何かを失っている。

それは現実を生きている私達も少なからず経験すること。
今では失くしていくもののほうが多いような気さえします。

でも、銀色の髪の手品師はこう呟く。

「ぼくたちはまるで大海を漂っていく氷山だ。
 少しずつ海に溶け出し確実に小さくなっていく。

 けれどそれは単にすりきれて消えるってことじゃない。
 氷はもっと大きな海へ、清冽な水となって溶け出していく。

 つながっているんだ…。」

だから彼らは舞台の上で精一杯の夢を演じる。

自分の失った何かが天に昇って別の形となり
見る人の心に再び雨となって降り注ぐことを望みながら。

相手の事を心から思ってつく嘘は
時に真実以上になり得るんじゃないのかな?
とこの本を読んで思いました。

けれど、
相手の事を心底思ってつく嘘は
とても切なくて、哀しい。

つながり。 [本]


『卵の緒』 ~ 瀬尾まいこ

それは、かたちはないけど確かなもの。
見えないけれど信じるに価するもの。

瞬きするあいだの、永遠。

ある意味対照的な家族の関係を描いた2作品が収録されています。

共に食卓を囲むシーンが印象に残りました。
「食事のときはご飯のことと一緒にテーブルにいる人のこと以外
 考えちゃダメなのよ。」

食卓って家族の姿がそのまま表れるのかなーと
独り者の私などは勝手に思います。

その人なりの
生きる姿勢、ものの考え方、愛の形。

日々の何気ない暮らしの姿を描きながら
こういったことが後からじわっと感じられるような。

何かとても柔らかい気持ちにさせられる作品です。

登場人物たちの姿がたまらなく眩しいと感じるのは
ちょっと疲れている証拠かもしれませんねー。

最近読んだ本~『ノスタルギガンテス』 [本]


『ノスタルギガンテス』 ~ 寮 美千子

以前ご紹介した寮美千子さんの『星兎』を読んで
童話のようなロマンティックな物語だけに留まらないものを
感じて再びこの本を手にした訳なのですが…。

僕たちは打ち寄せられた漂流物、
生まれながらの小さな廃墟だと感じるカイ。

形ないもの、名前のないものに憧れる彼は
自分自身の存在すら忘れようとしているかのようです。

そしてあるきっかけで古木の元に集まりだす無数の廃墟たち。

作品中、水のイメージが頻繁に登場しますが
そこから感じられるのは乾燥して無味無臭な街の風景。
強烈な喪失感。喉の渇きに似た渇望…。

それを振り返る過去の殆どない筈の小学生の
子供の視点から描いています。

詩のような、哲学的な美しい言葉で。

時には痛いくらいの鋭さで。


驚きました。

こういう感性で眺める世界というのはどんな風なのでしょうか?
きっと同じ風景のなかに全く異なるものを観ているような気がします。

と同時に今の時代の感触というか、雰囲気を鏡のように反映
していると感じました。

多分、読んだ人それぞれに様々な感想を
持たれるのではないでしょうか?

繰り返し読んでもまた新たな発見があるような、そんな本。
こういう本との出会いは本当にワクワクさせられますね~。

これは絶対お薦めです。

最近読んだ本~『ブラフマンの埋葬』 [本]



『ブラフマンの埋葬』 ~ 小川洋子

「ある出版社の社長の遺言で建てられた芸術家に無償で活動の
 場を提供する”創作者の家”。
 その管理を任されている僕の元に、ある夏彼はやって来た…。」

サンスクリット語で「謎」を意味する名の生き物と「僕」との
ふれあいを穏やかに、淡々と綴っていきます。

何だろうな…。

語り口は非常にシンプルなのですが
それが余計に深みを増しているというか。

文章の裏側にある、人の”想い”を連想させる感じ。

普段の生活では人の感情なんて外からでは計り知れないですよね。

多分無意識に相手の行動やしぐさなどを見て
あれこれ推察しているのでしょうけど…。

感情を表に出さない客観的な文章から
そんなことをちょっと思いました。

本を読んだ感想は人それぞれですが、読後
ブラフマンとの暖かい触れ合いよりも、私の場合は
「僕」の孤独感のようなものが強く印象に残りました。

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